腎臓内科外来は毎週火曜日午前です
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当院の歴史

当院の歴史

当院は明治30年に開業し、120年以上に渡り佐原の地域医療に携わってまいりました。これからも、美しい自然に囲まれたこの土地の景観と共に、地域の皆さまの健康をサポートし続ける存在でありたいと考えています。

建築中の山野病院

昭和8年頃の当院建築中の様子

初代院主山野庄助

明治40年頃の現地の様子
右上の人物は初代院主山野庄助

初代院主 山野庄助

初代院主(院長)山野庄助は、現在地で1897年(明治30年)に開業。漢方から西洋医学への移行期。日々研究に明け暮れ、患者の身になって診察する庄助の病院は、信頼できる医師のいる病院として賑わった。当時は専門外など言っていられず、何でも診療する何でも屋であった。病気の事、生活環境等何でも知り、適切な指導も治療も行う親身な医師であったと評判であった。息子の正(二代目院長)が子供のころは、「ボヤボヤするな。物事は徹底してやれ。」が口癖。往診ばかりか大洪水や伝染病の変事に各種無料奉仕の取りまとめに奔走、人力車には息子の正(二代目院長)も乗せて門前の小僧としてしごいた。

二代目院長 山野正

その後、二代目院長山野正が引き継いだ。息子の登史が小学6年の頃、往診に出かけた正が3時間過ぎても帰ってこない。戦後まもないころ、車で往診するなどは考えられない頃だった。暗い夜道にバイクを引きずりながら帰ってきた正の姿に登史少年は驚きの声をあげた。バイクのまま田圃に落ち、顔や手に傷をつくり額からは血が吹き出していた。それでも翌日も往診に出かけた。患者には優しい正は、登史にはことのほかきびしかった。

三代目院長 山野登史

その登史が昭和47年に三代目院長となった。登史が病院を継承した時に先輩から頂いた、“祖父よりの仁術映えて菊薫る”という句があり、登史はこれが大好きで「この句を読むと当地に開業した初心に通じ心が引き締まる感じがして、患者さんの心に触れ合える第一線の開業医になったことを誇りに思うと共に、尚一層、地域医療に尽力しなければならないという責任を痛感します。」と言っていた。

四代目院長 山野敬彦

そして平成8年に山野敬彦が四代目院長となった。現院長も、初代からの地域医療に対する熱い思いを引き継ぎ、患者さんとの対話を重視して、わかりやすい説明を心掛け、診療に励んでいる。